鹿児島市の一角に日本でも非常にめずらしい偉大な町があるのをご存知でしょうか?
その町は鹿児島市の甲突川に面した一体、その地域は加治屋町と呼ばれています。
西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、西郷従道、大山巌・・
みなさんもこの中の何人かはご存知ではないでしょうか?

西郷さんや大久保さん位はご存知じゃないでしょうか?実はこの偉大な明治維新の
元勲達はすべてこの加治屋町の出身なのです。ここで記載した元勲達以外にも
多くの元勲達がこの加治屋町で生まれているのです。この地域は明治で勲章を
貰った人々の官位数が日本で一番多い地域と言われています。何故このような事が
起きたのでしょうか?
この地域一体は江戸時代より下級武士が多く住む一体だったそうです。
薩摩(現在の鹿児島県一体)は江戸幕藩体制でも非常に珍しく農民よりも武士が
多い藩だったのです。通常であれば多くいる農民が年貢を藩に納め、その年貢で
少ない武士を支えるというシステムとなっていたのですが、記載した通り薩摩藩では
農民より武士が多く存在していたため、武士は必然的に年貢の分け前が期待出来ないため、
半農半士になり、自分の食い扶持は自分達で賄うしかなったのです。
もちろん加治屋町も一体も例外でなく、特にこの地域は下級武士(しかも特に貧しい
武士達)が多く住む地域であったため、江戸の旗本のように年貢で、のほほんと暮らす
武士と違い、日々の生活のため常日頃より農耕に久しみ、畑を耕すということは、
明日はどれくらいの収穫をあげなければならないなどと、常日頃より多くの事を
考えなければならなかったのです。薩摩の下級武士達は常日頃より頭を働かせながら
生活を送っていたのではないでしょうか?現にこれは有名な話なのですが、西郷さんは
非常に算盤が達者だったとの事です。そしてもう1つ、薩摩の武士達は示現流という
流派があるように男の勇敢さでも知られております。これは薩摩独特の教育システム
(郷中教育)があり、男に生まれた者は幼い頃より、近所の男どもの家に集団で宿泊し、
その際に薩摩の武士として生まれた男のあり方や剣術、勉学、相撲そして時には切腹の
作法まで教えられたとの事です。
男どもはこのような教育を受けて、武士としての勇敢さを先輩より学んでいったのです。
西郷さんも年下の(後の元勲と呼ばれる人々)後輩達に多くの男の思想を教えていたそうです。
このような環境がこの加治屋町より多くの偉人達を生んだ原動力となったのではないでしょうか?

話はそれますが、日本の最初の陸軍大将はご存知の通り、西郷さんです。最後の陸軍大将は
あまり知られておりませんが、やはりこの加治屋町にて幼少時代を過ごした、太平洋戦争末期、
沖縄戦にて壮絶な最後を遂げた、牛島満大将です。この事も何か因縁めいたものを感じずに
いられません・・

西郷さんが好んで使った言葉に「敬天愛人」というものがあります。〜天を敬い人を愛す〜。
多くの後輩達(下級武士)を抜擢し、そして愛した西郷さんらしい言葉です。
歴史が行き、歴史を見る・・今日も歴史の川が流れて行く。
あなたも一度この不思議で偉大な街を歩いてみませんか?

● 加治屋町への行き方
JR鹿児島本線鹿児島中央駅より徒歩15分
● 周辺の史跡
西郷隆盛従道生家跡
大久保利通生家跡
東郷平八郎生家跡 など
● 周辺施設
維新ふるさと記念館 など
                        (エピソード2に続く


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